公開: 2023年3月18日
更新: 2023年5月14日
古代(弥生時代以降で仏教伝来以前)の日本ては、人は死ぬと「黄泉の国(よみのくに)」に行くと信じられていたようです。古事記などの記述では、黄泉の国の入り口の先には、死者たちが集まっていて、生きている人が近づくと、その人を捕らえて、黄泉の国の洞窟の奥へ連れて行こうとします。「いざなぎ」の神は、死んだ妻の「いざなみ」を探して、黄泉の国に入りましたが、洞窟の中で、変わり果てた「いざなみ」の姿を目にして恐れを抱き、黄泉の国から逃げ出しました。それでも、イザナミと死者の仲間たちは、逃げるイザナギを、追って来ました。黄泉の国の入り口は、現在の島根県の安来の近くにあったとされていますが、イザナギはそこから、現在の広島県との県境を越えた備後地方の西城近くまで、逃げてきて、岩陰に隠れたそうです。
この古事記に残された伝説と、古代(縄文時代)の人々が本当に信じていた死後の世界が同じようなものであったかどうかは分かりませんが、似ていたのだろうと想像できます。古事記のイザナギ神話の後の時代の話になると、伝説の人々は、神とされ、死後、神社に祀(まつ)られることで、子孫や村の人々の守り神になると、信じられていたようです。一般の人々の死後の世界については、どのように考えられていたのかは、分かっていません。島根県にある須佐神社や出雲大社は、そのような、スサノオや大国主(おおくにぬし)などの神々を祀(まつ)っている神社です。
飛鳥時代になって、朝鮮半島から仏教が伝えられると、この日本人の古代からの「死後の世界」に関する考え方は大きく変わります。かつて神になっていた人々やその子孫も、一般の人々も、死後は、等しく生前の行いによって、地獄か浄土かの、どちらかに行くかが決まります。これについては、キリスト教の教えに似ています。善行を為した人々は、死後、浄土(天国)へ行き、平和に暮らすことができます。そうでない人々は、地獄へ堕ち、毎日、苦しみに耐えなければなりません。特に、平安時代以降の日本社会では、高い地位にあった人々ほど、生前に善行を積み、死後、極楽浄土に行くことを強く願いました。
16世紀になって、ザビエルらの宣教師が来日し、キリスト教の教えを説いた時も、生前に善行を行うことで、神は信者を天国(「パライソ」)に行かせてくれると信じていました。信者たちは、そのことを信じて、迫害や拷問に耐えたのです。江戸時代に入って、「キリスト教徒は処刑する」と言う決まりが発表されても、信者たちが信仰を捨てなかったのは、自分達の死後、天国へ行けると言う約束を信じていたからでした。仏教では、「浄土へ行く」と言う天国思想の他に、死後、人間は他の動物になって生き返ると言う、インド的な「輪廻転生」の思想もあります。